スポーツ報知 8月20日(土)10時2分配信

 「少年隊」の東山紀之(49)の交友関係は、ジャニーズ事務所で最も幅広いと言われている。俳優としても活躍し、9月30日で50歳を迎える。「気持ちはデビューした19歳のときと同じ」と衰え知らず。今は俳優としても活躍。その原点は森光子さん(故人)、松方弘樹(74)との出会いだった。85年に「仮面舞踏会」でデビューしてから31年。少年隊の活動は08年から遠ざかっているが、メンバーの存在についても語った。

 今年で50歳。でも、よく分かってないというのが実際で、気持ちは19歳でデビューしたときと変わっていない。長くやれば知り合いも増えてくる。その中で「恩人」と言えるのは、やっぱり森光子さんと松方弘樹さん。この2人がいないと、今の自分はなかった。

 森さんに出会う一番最初は、長渕剛さんの奥様の志穂美悦子さん。志穂美さんがJAC(ジャパンアクションクラブ)時代で、僕らがナンバー(歌)をやっていたときに見ていてくれて、僕ら3人を招待してくれた。そこで真田広之さんたちに会い、少ししてから林真理子さんがコラムに僕の名前を書いてくれた。そういう活動を、森光子さんが見ていてくれたんですね。

 森さんの一言がなかったら、ソロとしての活動も、もうちょっと遅かったのかなと思う。初めて(86年に)紅白歌合戦に出たとき、森光子さんが審査員。舞台の袖で「私はあなたのファンなんです。踊りが大好きなんです」と言っていただいた。それが最初の最初。事務所的にも「何かヒガシが褒められてた」ってなって。うれしかったのもあるけど、その日は、悲喜こもごもがあって、すごく覚えている。

 その日は日本レコード大賞も掛け持ち。今では考えられないけど、1コーラスでリハーサルが終わったのに、本番は1コーラス半に変更になった。「仮面舞踏会」はバック宙で締めるけど、何回やっても終わらない…。それで、紅白は森さんも見ているし、何としても「いいナンバーにしよう」と思っていた。そこで司会の加山雄三さんが(曲紹介で)「仮面ライダー!」になっちゃった。僕は先に衣装が脱げちゃったり、散々な一日。でも、あれからいろんなことが動きだした。皆さんの記憶にも残ってくれた。

 時代劇のいろはを教えていただいたのが松方さん。「新選組」(テレビ朝日系、87年)に出ることになったとき、当時は恐ろしくて“化け物小屋”というイメージだった京都の東映撮影所でお会いした。非常に気に入ってもらって「ちゃんと時代劇をやってみないか」という電話をいただいて、手取り足取りじゃないけど刀の使い方から着物の着方から、ありとあらゆることを学んだ。今度9月に「必殺仕事人」(テレ朝系)が放送される。今年で9年目。当時の経験が本当に財産。

 後輩たちを連れて食事に行くのも、それこそ松方さんに座長のあり方じゃないけど、存在というのを学びましたから。その時代は先輩たちと食事をするとか、飲む機会がよくあった。また、それで友達を呼んでつながったりとか、そういうことが多かった。

 印象的な出会いは、いっぱいある。陣内孝則さんの出会いは面白かった。「ミュージックステーション」(テレ朝系)で、たまたま隣に座って、陣内さんの結婚の話になった。奥様が僕のファンだということで「結婚式に出てくれないかな」という話になった。初対面で。でも、めでたいことだったので。いま陣内さんと、その話をすると「誘う方も誘う方だけど、来る方も来る方」って。

 志穂美さんの舞台を見に行ったときに知り合った真田広之さんとは、今も食事に行ったりする。仕事はしたことないんだけど、今でも日本に帰ってきた時とか、お互いに連絡を取り合ったりしますね。縁は本当に大事だと思う。

 縁は、みんなが作ってくれる。13年ぶりにお仕事(7月放送、TBS系「ふつうが一番―作家・藤沢周平 父の一言―」)をさせてもらった石井ふく子先生も、森さんがいたから。蜷川幸雄さん(故人)はジャニー(喜多川)さん。

 ジャニーさんは、僕を見つけてくれた。12歳のとき。今思えば、あんな坊主頭によく声かけたと思う。渋谷のスクランブル交差点の公衆電話の前で、ジャニーさんが電話しようと思ったら「この坊主、邪魔だな」とかだと思うけど、そういうこともキッカケはキッカケ。

 ジャニーズ事務所で言えば、マッチさんは僕にとって「兄貴」。2つしか違わないけど。13歳で初めて会ったけど、そのときにはスーパースター。尋常じゃない人気の出方。それを見てた。今は「兄貴」って言えますけど、その当時、とてつもない大きな存在だったことは間違いない。兄貴と言えるようになったのは、ここ最近じゃないかな。

 後輩で一番近い存在は、トニセン(V6の年長グループ、20th Century)とTOKIO。昔、これから初めて一人暮らしをしようと思ったとき、事務所から「(国分太一らを)預かってくれ」って言われて、夢の一人暮らしがなくなった。預かったからには食事につれていかないといけなかったし…。また、あの年代は遠慮なく、よく食べる。今、後輩たちもやってくれてるんで、それはそれで良かったと思う。

 少年隊としては8年ぐらい活動していないけど、縁あってグループを組んだ。グループがなかったら、ソロでは生きていけなかった。何となく責任も3分の1になる。そういう意味で、グループというのは安心感があった。そこで培ったものがあるから、今がある。

 メンバーは、家族じゃないけど家族以上の存在であることに間違いない。特殊な関係性だと思う。錦(錦織一清)も演出家になり、植草(克秀)も舞台をやったり、僕もこうやって仕事させてもらってる。それぞれの空間も尊重しないといけない。もうちょっとグループとしては時間が必要なのかなと思う。今じゃなくてもいいかというのはある。

 俳優としては、これから人間の深さみたいなものが出せる役がいっぱい来てくれるような気がする。そういうものにも興味があるし、だんだん僕自身も先輩たちと共演する機会が少なくなってきたから、今はもっと見識の広い人たちと出会って学んでいきたい。

 ◆東山 紀之(ひがしやま・のりゆき)1966年9月30日、神奈川・川崎市生まれ。49歳。79年ジャニーズ事務所入り。82年に「少年隊」のメンバーとなり、85年に「仮面舞踏会」でレコードデビュー、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。93年に同事務所で初めてNHK大河ドラマ(「琉球の風」)に主演。10年に女優の木村佳乃と結婚し、2女をもうける。現在はテレビ朝日系「刑事7人」(水曜・後9時)に主演。身長178センチ、血液型A。

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