郷ひろみ
 デビューのきっかけは近所のおばさんが無断で映画のオーディションに応募したこと。オーディションは落ちたが、帰ろうとした郷のところにジャニー氏が近づき、「ちょっと話させてもらっていいですか?2週間後に遊びに来て」と声をかけたという。
 郷が渋谷の合宿所に遊びに行ったところ、ジャニー氏はそのままNHKに郷を連れて行って「15分待ってて」と言って大河ドラマのプロデューサーと会い、戻ってくると「おめでとう、来年の大河ドラマ決まったから」と、1972年の大河ドラマ「新・平家物語」出演を決めてきたという。

東山紀之

母子家庭で育ったヒガシは小学生のとき、母がNHKの職員専用の理髪店で働いていた。その縁で、アイドル番組『レッツゴーヤング』の鑑賞チケットをもらい、小学生の春休み、友人と観にいった。終演後、会場となったNHKホール付近の渋谷公園通り前の交差点で、信号待ちをしていた。その立ち姿にスター性を感じたのは、偶然、川崎麻世のマネジャーとして車に乗っていたジャニー。とっさに降車して、その場で、ヒガシをスカウトした。

諸星和己

中学2年だった1984年5月の日曜日、竹の子族を見るため、男女混合の友達5人グループで家出をして上京[2]。5日間ほど代々木公園の歩道橋の下で野宿をして過ごした。手洗いの際に使うティッシュをもらおうと原宿駅前をウロウロしていた際、近藤真彦の飼い犬を散歩させていたジャニー喜多川に声をかけられ、薄い木の板で作られた名刺を手渡され直接スカウトされる。
数日後、所持金が1,200円となって途方に暮れ、その名刺に電話すると「近くに合宿所があるから来るように」と、教えられた建物に行くとエレベーターから矢沢永吉が降りてきた。諸星にとって「人生で初めて会った芸能人」であったが、矢沢は当時同じビルに事務所を構えていて「この人もジャニーズなんだ」と勘違いした。

城島茂(J家第一個關西Jr./面試?)

中学三年生のときに奈良の同級生二人(足立君ともう一人)と
リーダーは履歴書を送りました。
当時は、関西にジャニーズ事務所の仕事はないのですが
(トシちゃん~少年隊がデビュー組時代)
高校一年生の7/7にジャニー社長が大阪に仕事にきていて
リーダーの家にのみ電話して一度あってみないか大阪まででてこないか
ということで大阪で食事しながら面談しました。
リーダーがいうには、他愛もない話・将来こうしたい、
今こういうこと考えているって言う話をしただけだそうです。
で、その場で夏休みとかに東京にでておいで ということで、TBS歌番組の出演の少年隊の収録を見学と
当時、ジュニアでいた諸星さんと一緒に雑誌セブンティーンの モデル仕事がデビュー作になります。
ただ、高校生時代は高校を辞める気も転校する気も
母親と離れて暮らすこともよしとしない人なので
土曜日の午後に東京に来て日曜夜に帰る
で高校二年生のときはめんどうで、東京に行かなくって
三年生のころにちょこちょこ外部ドラマのオーディション受けて
長期の休みには東京合宿所にいすわるという
ジュニアでした。
ですから、みんなが放課後にダンスレッスン受けている時代に
一人だけ、週一回しか受けられなかったんです。
当時の同世代ジュニアで
関東以外の人は、静岡から通っていて
デビューした忍者の人とリーダーだけですね。
デビューまでいかないと、入所の事情が
判らないのですが、
その時代はせいぜい100人くらいしか
ジュニアもいないし、めずらしい入所の仕方ではあると思います

三宅健 

三宅が事務所に履歴書を送ると、ジャニー氏から電話があったといい「『SMAPのコンサートがあるからおいでよ』って言われて行ったみたら、
中居(正広)くんのバラードでたたずむ少年(役)で体育座りで出た」とオーディション無しで大役を果たしつつ鮮烈デビュー。
ジャニーズ事務所に入った当時について「ジャニーさんから『YOUはビジュアルで行くから(ダンスは)いい』と言われた」と告白。
ダンスレッスンもあまり受けていなかったといい、ダンスにコンプレックスを持っていることも話していた。

滝沢秀明(雖然有參加甄選&及格)

オーディションに受かり、ジャニーズに入所して1週間後にジャニー喜多川社長から、憧れてたKinKi Kidsのコンサートでアリーナデビューさせられます。
その更に半年後には、ドラマデビューを飾ることに。

松本潤

お姉さんが見ていたKinKi KidsのDVDがきっかけとなり、ジャニーズとしての道を歩むこととなります。画面越しにKinKI Kidsの2人を見た松本くんは「かっこいい」と思い、小学校の卒業式の日に自ら履歴書を送っています。合格通知が来なかったものの、後日ジャニーさんから突然、「今、レッスンやってるから来ちゃいなよ」と電話で呼び出されたという。あいにくその日は、野球の練習を予定していたが、家族会議の末、「こんなチャンスはない!」と、指定された東京の六本木にあるテレビ朝日の第1リハーサル室へ連れていってもらった。

その時、稽古場として使用していた部屋を掃除していたおじいさん、それがジャニーさんだった。丸い目に、くっきりしたまゆ毛、ほりの深い顔に天真爛漫な性格の松本は、オーディションに来たたくさんの男子の中でも目立つ存在だった。そして入所は即決。とんとん拍子でジャニーズJr.入りし、当時は「特待生」と注目された。

錦戸亮

「ジャニーズ入ろうぜ」という悪ふざけで友達と一緒に履歴書を送った→ジャニーさんから達筆な手紙→オーディション

上田竜也(有參加甄選)
当時は坊主頭だったため、ジャニー喜多川の「坊主いいね!」の一言で合格。

赤西仁(有參加甄選)
オーディションの不合格組。番号札を手にして、「どこに返したらいいですか?」と聞いた老人が、たまたまジャニー。その場で、「YOUも残っちゃいなよ」と合格させた。理由は、番号札が1番だったからだ。

藤ヶ谷太輔(有參加甄選)
藤ヶ谷くんは誰が履歴書を送ったのか未だにわからないそうです。 
オーディションの通知が来てお母さんから「社会勉強だから行ってきなさい!」と言われて受けたそうです。 
オーディションが終わり、ホワイトボードには番号が書かれ、「番号書いた人は残ってくれ」と言われたそうです。 
残念ながらその時は藤ヶ谷くんの番号はなかったそうで、すぐに帰りたかった藤ヶ谷くんは近くにいたおじさんに「この番号札はどこに返せばいいですか?」と話しかけたそうです。
このおじさんがジャニーさんだったそうで、「Youは初日に僕に話しかけるなんて凄いね!」と言われ、ホワイトボードに番号が追加で書かれたそうです。

内博貴

中学1年生の時に、1歳上の先輩の親に頼まれて、ジャニーズのオーディションについて行くことになったそうです。
会場では、興味がないため、冷めた目でオーディションを見ていたといいます。
すると、ジャニー喜多川社長が声をかけてきたそうです。
もちろん、この時は社長だとは知りませんでした。
ジャニー喜多川社長は、内がジャニーズに興味がないことを知ると、中華料理をごちそうし、携帯を契約して渡してくれたそうです。
たびたびその携帯に連絡が入り、ジャニーズ入りを誘われたようです。

「君の夢はなんなんだ?」と尋ねます。内が「僕は甲子園に出て野球がしたい」と打ち明けると、
その1週間後、ジャニー社長から電話が鳴り「明日、甲子園に来て」と言うではありませんか。
そこで甲子園に行ってみると、なんとそこには「阪神の真弓(明信)選手とか、いろんな選手がいて。
僕もそこに混じって野球やらせてもらったんですよ」。この話にスタジオはドン引きで、MCのタカアンドトシも「どんだけ力あるんですか!」とおののきます。
さらに、甲子園での野球を楽しんだ後、ジャニー社長が放った一言が「夢叶ったでしょ?」。
ジャニー社長の権力を目の当たりにした内は、「なんか怖くなって」ジャニーズに入ることに……。
家族や友人が履歴書を送ったという話が多い中で、ジャニー社長の未曾有の猛アタックに恐れをなして入所した内。

京本大我
父は俳優の京本政樹、母は元アイドルの山本博美という超サラブレッド。13歳のとき、家族でハワイ旅行したときの写真が、たまたまジャニーの目にふれ、父を通じてスカウトした。

平野紫耀(Mr.KING)
小学2年生の時からダンススクールに通い練習していましたが、
そこの先生(師匠と呼んでいた)がジャニー喜多川さんと知り合いで、先生の紹介でジャニーさんと会うことに。
平野紫耀くんは「山下智久(山P)」に憧れてジャニーズ事務所へ履歴書を送ろうとしていたこともあり
ジャニーさんからの勧め『YOU入っちゃいなよ』
を受けて、2012年2月からジャニーズ事務所で関西ジャニーズJr.として活動するようになります。

創作者介紹

大王子與小王子,還有平成王子

Massy 發表在 痞客邦 PIXNET 留言(0) 人氣()