ZakZak人物專訪-屋良朝幸  From   產經新聞 2010.04.26

(又是一篇可窺見J家人入行契機&出道心酸的訪談)
【屋良朝幸】無人生「ゴールがないことは難しいことだが、やりがいがある」

堂本光一、タッキーが一目置く存在】

 床に落ちていた紙吹雪が、まるで計算されたかのように舞い上がる。しなやかで繊細、でもダイナミックなダンスに老若男女の客席は息をのむ。

 ジャニーズ事務所の先輩、堂本光一の舞台「Endless SHOCK」(2月14日-3月30日、7月4-31日)の前半を終え、休む間もなく同期入所の滝沢秀明が座長を務める「滝沢歌舞伎」で準主役を務める。堂本、滝沢の2人が一目置く存在だ。

 「タッキーとは、15年前のちょうど今ごろ、(事務所へ)入りました」

 12歳のときだった。

 「姉ちゃんがジャニーズに興味を持っていて、弟を入れちゃおうって思ったんです。あるテレビ番組に応募したら(オーディションの)連絡が来て“行ってきてよ”って言われて」

【15歳の時に転機】

 当時、姉は地元のダンス発表会に出演しており、小学生だった彼もその場に引っ張り出されていた。だが、ダンスが特別好きだったわけではない。

 「姉ちゃんがSMAPさんの曲『がんばりましょう』で振り付けを考えてくれたんです。でも、(会場には)100人くらいの人がいて、緊張しすぎて、振りが飛んじゃった」

 最後に側転を入れてキメたが落選。しかし、会場に居合わせたジャニー喜多川社長が彼の母親に声をかけた。

 「すごく踊りが良かった。1週間後に違うスタジオでオーディションをやるから、ぜひ来てほしい」

 当日、喜多川社長と面接し、振り付け師の指示で踊った。そこにはタッキーもいた。

 「合格の通知はなかったですね。気づいたら『仕事があるから』と呼ばれて、いつの間にかこの世界に入っていたんです。同じ年代の男の子ばかりだったから、毎日が合宿のノリで楽しかった」

 15歳のとき転機がやってくる。そのとき目にしたダンスに心を奪われたのだ。

 「それから踊りの向上心が目覚めたんです。研究をして、振り付けも考え始めました。けど、時代が違ったからかな。なかなか認めてもらえなくて…」

 アイドルでありながら、本格的なダンスも踊りたかった。


 「海外のアーティストの踊りを見て勉強したし、レッスンもしました。ファンは大事だし、そこで認められるのも大事。同時に、ダンスを愛している人からも認められたいと思ったんです。ダンスが好きな人に『そのダンス、何だよ』と言われたくなかったから

 その決意はこれまで一度たりとも揺らいでいない。しかし一方で、後輩のデビューに接するたびに心にさざ波が立った。平静を装う息子を、家族はそっと見守った。

 「沖縄出身の親父は音楽が好きで、兄弟でエイサーをやっていました。小学生のときに見たステージ上の親父はカッコよかった。家でも三線を弾いています。多くは語りませんが、家族のことを考えてくれる親父です。母ちゃんは親父とは真逆で明るい。ケータイもキラキラ(の装飾)でね。でも、ぼくが悩んでいることは勘で分かるみたい。いろいろと連絡がくるんです。親のためにも頑張んなきゃ、ね」

【焦る時期なのかもしれません、本当は】

 入所から15年、ダンスにのめり込んで12年。

 「焦る時期なのかもしれません、本当は。家族は何も言いませんが、『デビューしてほしい。今年こそは』と思っているだろうし、ぼくもそうなってやろうと思っています」

 近年は嵐や関ジャニ∞の振り付けを手がけ、改めて表舞台に立つ意味を考えた。

 「ダンスも芝居も歌もゴールがない。それは難しいことだけど、やりがいがある。もっと自分を高めて、知ってもらいたい」

 切れたら願いがかなうというミサンガが、左足首で揺れていた。

ペン・栗原智恵子 カメラ・中鉢久美子

 ■やら・ともゆき 1983年2月1日生まれ、27歳。千葉県出身。95年、ジャニーズ事務所入り。ジャニーズJr.、Musical Academyで町田慎吾、米花剛史と活動し、2007年に滝沢秀明が命名した舞闘冠のメンバーに。舞闘冠が出た09年のテレビCM「コンバット」(大日本除虫菊)は話題になった。名前は父の朝、母の幸からもらった。「屋良家は男に“朝”の字をつけるんです。沖縄のおばあちゃんの家で見た家系図のご先祖さんも“朝”がついていました」。楽屋にはシーサーを飾り、座右の銘「楽勝(楽しく勝つ)」を見て自らを鼓舞している。

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