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2000年の初演以来、今年で11年目となる。「Show must go on」をテーマに、毎年いろいろな部分を変えながら、一つの芝居が進化をたどっている舞台だ。バックステージ物とも言えるジャンルの芝居で、堂本光一扮する「コウイチ」がショーの世界で多くの困難にぶつかりながら進んで行くという設定は当初から変わっていない。「継続は力なり」というが、31歳になったばかりの若さで、帝国劇場を11年間満員にする力はたいしたものだ。今回の舞台を観ていて感じたことが幾つかある。まず、11年間演じていながらスピード感が全く衰えていないこと。いくら若いとは言え、今年について言えば2月、3月、7月と三カ月で合計100ステージを演じることになる。ハードスケジュールの合間を縫っての稽古で、毎年新しい要素を加えながらも舞台のテンポが落ちずにいることは評価して良いだろう。もう一つ感じたのは、堂本光一が去年のステージに比べて格段に逞しさを増したことだ。格闘技などのスポーツ選手のような体格ではないながらも、あの華奢な身体のどこにあんなにエネルギーがあるのだろうと思って今までの舞台を観ていたが、身体が一回り大きくなっているような気がした。具体的にどんなトレーニングを積んで来たのかは知らないが、ハードな舞台をこなすために、努力を重ねた結果であろう。この事実一つを取ってみても、まさに「Show must go on」のために他ならない。

 昨年、ある雑誌に、彼の個性は「愁い」と「翳り」にその真骨頂がある、という内容の記事を書いた。その感覚は今も変わっていないが、今回の舞台を観ていて、ふとある歴史上の人物に似た感覚を覚えた。誰もが知っているが実像は観たことがない、悲劇的な歴史のヒーロー「源義経」である。「義経」は同じジャニーズ事務所の滝沢秀明が演じているが、どちらが良い悪いという比較検討の問題ではない。堂本光一が感じさせるものは大袈裟に言えば、悲劇的な「運命」とも「陰」とも言えるべきものを身にまとっているものの魅力だ。ある場面では、京都の五条橋で弁慶を相手に軽々と立ち回った白皙の美少年の面差しを感じさせる。その一方では、来るべき悲劇の予感をまといながらも果敢に運命に立ち向かう武将としての義経の側面をも見せる。義経の短い生涯の中でもいろいろな顔があるわけで、我々が「伝説」として知っている幾つかの顔、場面が今回の舞台から感じ取れた。悲運の武将と堂本光一の姿を重ね合わせることがどういう意味を持つのか、それが意識的に行われているものなのか無意識に彼が醸し出すものなのかはわからない。ただ、それが変にギラギラと男くさくならない「淡さ」とでも言うべき二面性が、彼の魅力であるのかも知れない。

 さまざまなイリュージョンやフライング、和太鼓の演奏、シェイクスピアの「ハムレット」や「ロミオとジュリエット」の一場面など、観客をいかに多くの方法で楽しませるか、という舞台の創り方は、今までにも何度か書いて来たがショーマン・シップを知りつくしたジャニー喜多川の薫陶によるものだろう。今、景気の悪化と共に演劇界も厳しい状況に置かれている。その中で、劇場にいる数時間、いかに観客を満足させるかという、一番シンプルで重要なところに力点を置いた舞台には、それなりの価値がある。ジャニーズのファンに熱狂的な人々が多いとは言え、「満足」が得られなければ次へはつながらないだろう。そのために努力を惜しまないカンパニーの姿が観客に響き、それが11年続いている原因の一つである。

 先輩に当たる少年隊の植草克秀が劇場のオーナー役で出演し、後輩の屋良朝幸がライバルで出演している。先輩を立てながら同時に後輩を育てて行くという器量は、立派な座長である。「Endless」と銘を打っている以上、まだしばらくはこうした公演形態は続くのだろう。その中でどう次の年へ脱皮を繰り返してゆくのか、そこに興味がある。

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