SANKEI 2012/10/14

 女優の森光子さんが10日に肺炎による心不全のため、都内の病院で死去したことを東宝株式会社が14日、発表した。92歳だった。同社から報道各社に送られたファクスによると、14日に密葬が営まれた。

森さんのおいにあたる柳田敏朗さんが東宝を通じて発表したコメント(原文のまま) 
 
   生前からの本人の希望でしたので、家族だけで本日密葬を相済ませました。
 これまでは仕事柄ゆっくりと時間が作れなかったので、家族とともに、この最期の時を一緒に過ごすことが出来ましたこと、有難く存じております。 
 
  これまでも栄養管理のために、短期間入院することもあり、この度も、この9月から大事をとって入院しておりましたところ、静かに眠るように息を引き取りました。 
 
  お陰様を持ちまして、テレビ、映画、演劇と多くの作品に出演させて戴き、『放浪記』というライフワークとも出会って、本人にとっては大変に幸せな人生であったと存じます。
 これまでの長きにわたり、森光子を愛してくださった多くのファンの皆様、そして支えてくださった方々に、心からの御礼と感謝を申し上げます。
 誠に有難うございました。 

YOMIURI ONLINE 2012/11/15
 
10日に92歳で亡くなった女優の森光子さんの所属事務所が15日夕、記者会見を開き、森さんのおいで同事務所社長の柳田敏朗さんが、森さんの最期の様子などを語った。

 柳田さんによると、森さんは9月から東京都内の病院に入院。舞台復帰への意欲を失わず、代表作の舞台「放浪記」のセリフの練習や運動をしていたが、10日に眠るように息を引き取ったという。密葬では棺内の森さんに淡い紫の萩模様の着物がかけられ、「放浪記」「雪まろげ」、最後の舞台となった「新春 人生革命」の台本が添えられた。


中日スポーツ 2012/11/15

ジャニーズの息子たち 悲しみ深く

 森さんはジャニーズ事務所のタレントとの親子のような深い交友が知られている。近藤真彦(48)、少年隊の東山紀之(46)、KinKi Kidsの堂本光一(33)らが出演する舞台公演に出かけ、一緒に食事をし、逆に森さんの公演にもジャニーズのタレントが駆け付ける。東山や滝沢秀明(30)とは共演も果たしていた。“母親”との別れに、タレントたちも事務所関係者も悲しみに包まれた。

 きっかけは、86年のNHK紅白歌合戦に少年隊が初出場した際、審査員の森さんが東山に「東山さん、あなたのファンです。いつも見ていますよ」と声を掛けたことだった。以来、親交を深め、05年の舞台「ツキコの月 そして、タンゴ」では念願の共演が実現した。

 東山は10年に女優木村佳乃(36)と結婚したが、森さんは交際中から「しっかりしなさいよ」とハッパをかけ、入籍直前には「もう入籍しなさい。良い日にしなさいね」と忠告。結婚が公になると、「東山さん、佳乃さん、幸せのおくりものをありがとう」、「元祖 友達以上、恋人未満の森光子より」と、ユーモアにあふれた祝福コメントを発表していた。

 昨年11月に木村が第1子となる長女を出産すると、「うれしくて、皇居のお堀端をドライブしました」とコメント。関係者によると、今年に入ってから東山が入院先の病院を見舞った際に、連れていった長女を森さんの腕に抱いてもらい、東山も森さんも大喜びしていたという。

 09年5月9日の「放浪記」2000回達成のカーテンコールでは、滝沢が「お母さんと呼ばせてもらっていますが、今日はお母さんが誇りに思える」と息子のようなまなざしで語った。

 帝国劇場にジャニーズが進出したミュージカル「SHOCK」シリーズ主演の光一には、森さんは「長く続けるにはバランスが大切」と舞台人としてアドバイス。今年2月には、1月22日に都内のホテルで撮影した写真を光一に届けた。SHOCKのチラシを頭上に掲げ、にっこりとほほ笑む森さんに光一は「食事を差し入れてくれたり、いつも気に掛けてくれて…。無償の愛を感じております」と感謝。楽屋に写真を飾り、いつも尊敬のまなざしを向けていた。東宝は2月7日のSHOCKの帝劇初日に森さんを招待したが、森さんは「みなさんに迷惑がかかる」と、自身に注目が集まってしまうことを懸念し、写真を届けることにした。結果的にこの写真が森さんの姿を公に伝える最後の一枚となった。

 ジャニーズ事務所はこの日、「みな大きなショックを受けています。時間をください」として、所属タレントのコメントは発表しなかった。

SANKEI 2012/11/15

森さん死去、ジャニーズ「衝撃大きすぎる」

森光子さんは、テレビ番組の司会やNHK紅白歌合戦の司会を務めるなど活動は女優にとどまらず、芸能界の“お母さん”として幅広い親交があった。特に親しかったのは少年隊の東山紀之(46)をはじめとしたジャニーズ事務所のアイドルたち。だが、同事務所関係者は「衝撃が大きすぎる」と語り、この日はいずれもコメントを発表しなかった。

 森さんとジャニーズとの“深い関係”は、東山がきっかけだった。

 1986年のNHK紅白歌合戦。少年隊が初出場した際、審査員を務めた森さんは東山に「東山さん、あなたのファンです。いつも見ていますよ」と声をかけた。85年にレコードデビューしたばかりの少年隊にとって、大女優は雲の上の存在だが、これを機に森さんは、とりわけ東山に目をかけるようになる。

 90年代に入ってテレビドラマで複数回共演、舞台でも94年の「御いのち」以降、何度も共演するようになった。業界では「森さんの右手を握れる男性は東山だけ」と言われ、「交際しているのでは?」とささやかれることすらあったほどだ。

 同事務所のジャニー喜多川社長(81)も森さんの存在を特別視していた。喜多川氏の父親が大阪・道頓堀劇場で森さん出演の舞台をよく見に行って「森光子は踊りがうまい」とほめていたことも覚えており、事務所をあげて交流を深めるように。96年1月に森さんが初めて開いたディナーショーは、喜多川氏が構成・演出をかって出た。

 森さんはKinKi Kidsの堂本光一(33)、タッキー&翼の滝沢秀明(30)らの主演舞台を積極的に観劇し、けいこ中にはたびたびスタッフの分も含め食事を大量に差し入れるなど手厚く支援。一方で、森さんの誕生日や舞台の節目公演には近藤真彦(48)や東山らジャニーズ軍団が大挙駆けつけ祝福するなどした。

 森さんは、2010年1~2月に東京・帝国劇場で滝沢と共演した舞台「新春 人生革命」(作、演出・喜多川氏)に主演。結果的に森さんの最後の舞台になった。同年5~6月に上演予定だった「放浪記」が急きょ中止された際には、代替公演として同事務所の内博貴(26)らがライブ公演を行って“穴”を埋めた。

 同事務所関係者は「事務所として衝撃が大きすぎる。コメントを出すのに少し時間がほしい」。森さんを母と慕ったジャニーズアイドルたちの衝撃は計り知れない。

★病魔と健康法

 森さんは常に健康に気遣い、ストレッチを欠かさなかった。その原点は、戦時中の栄養不足もあって肺結核にかかり、左肺の機能が衰え療養したことにあった。

 1949年の秋、京都の映画館で偶然出会った小学校の同級生で京大医学部卒業の医師が、「顔色が悪いよ」と心配し、当時国家公務員の月給より高かった特効薬ストレプトマイシンを森さんに無償で投与。この医師とその母親の好意により、3年半、京都市山科区のサナトリウムで療養し、31歳で社会復帰した。ただ、肺活量は衰え歌手は断念した。

 その後も病魔が次々と森さんを襲った。人気絶頂を迎えていた65年、乳腺腫瘍の摘出手術を受けた。幸い患部は小さく、静養後、森繁劇団の公演で復帰。67年には急性肝炎で1カ月通院。84年ごろから尋常性白斑という皮膚の色素ができなくなる病気に。子供のころは「黒みっちゃん」というあだながつくほど色黒だったが、98年ごろから全身が白くなった。紫外線にあたると体調によくないので野外ロケを自粛。2000年11月には16年間悩んだ白内障の手術をした。

 数々の病気を克服しながら健康法として欠かさなかったのが「卵」。戦時中の食糧不足の中、生家の割烹旅館に常備してあった卵を食いつないで生き延びたころから、「卵を崇拝している」と晩年語っており、毎日3、4個ほどの卵を食べた。歯間ブラシによる歯磨きも丹念に行い、21本の歯はすべて自分のもの。お酒は下戸だったが、78歳ごろから飲めるようになったという。

 また、足腰のトレーニングのためスクワット(実際はひざの屈伸運動)を朝晩75回計150回、多いときは計200回毎日欠かさず実行していた。

SPONICH 2012/11/15

光一に贈った最後の写真…森さん ジャニーズアイドルと親密交流

 森光子さんはジャニーズ事務所のアイドルとは、ジャニー喜多川社長らと親しかったことが縁で80年代から交流。特に東山紀之とは2人きりで食事や観劇に出かけ、真剣交際が噂されたこともあった。

 一昨年10月に女優の木村佳乃(36)と結婚した際には「ちょっぴり花婿の母の気分です」と祝福した。それ以後、関係者によると「肩の荷が下りた母親のような感じになった」という。

 近藤真彦(48)にとっては芸能界の母親的存在。95年2月の結婚披露宴では媒酌人を立てず、森さんと黒柳徹子が後見人を務めた。09年5月の「放浪記」2000回達成時には近藤、東山らジャニーズ勢16人が東京・帝国劇場に駆け付けて祝福した。

 今年2月7日の堂本光一(33)の主演ミュージカル「Endless SHOCK」初日には、森さんの“応援写真”が届けられた。1月22日に帝国ホテルで撮影したもので、同舞台のチラシを高々と掲げた姿。これが公開された最後の写真となった。

Dairy 2012/11/15

東山追悼「僕を照らし続けてくれた光が」

 少年隊の東山紀之(46)が15日、所属するジャニーズ事務所を通じて、「僕の人生を照らし続けてくれた光が消えてしまいました」と10日に亡くなった女優・森光子さん(享年92)についてFAXでコメントを発表した。

 森さんは東山のことを「友達以上、恋人未満」と茶目っ気たっぷりに表現し、東山もまた「母であり、恋人」と常々口にするなど、2人は“永遠の恋人”“心の恋人”と呼ばれた。

 東山は自分の人生に大きな影響を与えたかけがえのない存在だった森さんについて「僕の人生を照らし続けてくれた光が消えてしまいました。偉大で美しい光に導かれ、僕は自分の道を見つけることが出来ました。全てが森さんのおかげです。感謝してもしきれません。森さんが僕に教えてくださった表現者としての美学と志は僕の一番の財産にもなりました。

天国にいる森さんに、これからもずっと温かい気持ちで見守ってもらえるよう、僕は日々の努力を怠らず、常に精進していくようにします。森さん、本当にありがとうございました。どうかゆっくり休んでください。僕は、森さんの優しい笑顔を絶対に忘れません」

 森さんと東山との深い縁のきっかけは1986年のNHK紅白歌合戦だった。初出場の少年隊に、審査員を務めた森さんが「東山さん、あなたのファンですよ。いつも見ていますよ」と声をかけた。その後は、東山主演のNHK大河ドラマ「琉球の風」(1993年)で共演するなど、舞台、テレビで何度も共演するようになった。

 東山は10年、女優・木村佳乃との結婚直前に2度、一人で森さんに結婚の報告に出向いたことを明かしている。

 

タッキー、最後の舞台は「僕の宝」

 10日に肺炎による心不全のため亡くなった女優・森光子さんの最後の舞台となった10年1~2月の「新春 人生革命」(東京・帝国劇場)で共演したタッキー&翼の滝沢秀明(30)は、15日、所属するジャニーズ事務所を通じてFAXで哀悼のコメントを発表した。

 「森さんの元気な姿、笑顔、優しい顔、そんな姿しか知らない僕なので、今回の事を受けて 今でも信じられません。『人生革命』の舞台で森さんとご一緒したあの日の事は 僕の宝物です。 全てはお客様の為にステージに立つ森さんの姿は、今の僕のテーマでもあります。 これからも僕たちの心の中で優しく見守っていて下さい」

 森さんは10年2月6日、「人生革命」の千秋楽のステージで、「みんな大好き!」と滝沢や少年隊・錦織一清ら共演者に感謝し、「昨日(5日)泣いたんです。千秋楽がイヤだって」と明かし、涙で声を詰まらせた。その直後に、同年5~6月に予定していた舞台「放浪記」の上演中止を発表。事実上、芸能界から引退した。

 
SPONICH  2012/11/17

山田涼介 森光子さんしのぶ「誕生日が同じ 残念でなりません」

 人気グループ「Hey!Say!JUMP」の山田涼介(19)がソロCDデビューすることになった。

 主演舞台「ジャニーズ・ワールド」(東京・帝国劇場)が開幕した10日“ジャニーズの母”的存在だった森光子さんが、肺炎による心不全のため92歳で亡くなった。出演舞台の楽屋裏などで顔を合わせた森さんをしのび「誕生日が同じだからか“山田さん”と気さくに声を掛けていただいた。いつか森さんの舞台に立ちたいと思っていたのに…残念でなりません」とコメント。同事務所の次世代エースとして「森さんが空から見守ってくださっていると思い、森さんの心を受け継ぎ、お客さんに喜んでもらえる舞台に立ち続けたい」と活躍を誓っている。  

 

光子さん訃報で各界著名人から哀悼コメント

女優、赤木春恵さん
「言葉になりません。ただそれしか申し上げられません。体調が優れられないことは存じ上げておりましたが、みっちゃん(森光子さん)が天国に行ってしまったことを受け止めるには、もう少し時間が必要です」

「放浪記」の初演で共演した女優、浜木綿子さん「先日、夢でお会いしたばかりだったので、信じられません。夢の中で森さんが「これから舞台やるのよ」とおっしゃったので、「『放浪記』をやるんですか」とお尋ねしたら、笑いながら去っていかれた。まだまだ舞台に立ちたかったと思いますので、あちらにも台本を持っていかれたのではないでしょうか。偉大な女優さんでした。寂しいです。ご冥福をお祈りします」

舞台「放浪記」などで共演した俳優、米倉斉加年さん「大女優というと重々しいイメージだが、森さんは軽やかな大女優だった。僕が舞台でせりふを忘れてしまった時、「忘れることを恐れちゃいけません。私は毎日忘れてるんだから」と慰めてくれた。5時間前に既に楽屋入りしている姿を見かけたこともある。あれだけ軽やかに人を楽しませる芸の背景には、生半可じゃない苦労があったのです。才能もお持ちでしたが、努力の人でもありました」

演劇評論家、藤田洋さん「苦労を重ね、大衆に近い存在から芸術祭賞を受けるまでになった。「放浪記」で菊田一夫という名プロデューサーに出会い、一躍、大女優になった。良い作品に巡り合えて幸運だった。女優が人生そのもので、役者がどうあるべきかが体に自然と染み付いていた。素晴らしい、得難い女優でした」

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