中日スポーツ

ヒガシ沈痛 森光子さんしのぶ 「師匠でもあり母でもあった」

 10日に心不全のため92歳で亡くなった女優森光子さんをしのんで、公私ともに親交が深かった少年隊の東山紀之(46)が15日早朝に、成田空港で取材に応じ、悲しみと感謝を語った。ジャニーズ事務所のタレントが森さんを慕うきっかけとなり、26年もの間、特別な関係を築いた2人。東山は「森さんがいなければ今の僕もいない」と、その存在の大きさをかみしめた。

 東山はテレビ番組のロケで滞在していたタイから、午前6時すぎに成田に帰国し、報道陣に囲まれた。悲報を聞いたのは前日の14日。事務所関係者の電話に「珍しく固まってしまった」という。

 「最後に会ったのは2週間くらい前。元気そうな笑顔でした。仕事に行く僕が『森さん、行ってきます』と言うのをニコニコして見送ってくれたのが、最後です。今回も帰ってきてからごあいさつに行きたいと思っていたので…。しばらく固まってしまいました」

 どんな思いがしたかと聞かれると「うーん…」と十数秒も黙考し、「あまりにも大きい存在だったので、かつてない寂しさでした」とぽつり。遠く離れたタイでの仕事中だったが、「森さんのことだから、僕に心配をかけまいとしてこの時期に天国に行ったんだと思う」と、自分に言い聞かせるように話した。

 ジャニーズ事務所で初めて時代劇にも本格進出し、アイドルのイメージを塗り替えた東山にとって、森さんは最大の恩人だった。「この世界で最初に、アイドル出身の僕の存在を認めてくれた。森さんがいなかったら今の僕もいない。師匠でもあり母でもあった」

 86年のNHK紅白歌合戦に少年隊が初出場した際、審査員の森さんに「あなたのファンです。いつも見ています」と声を掛けられた。翌年に東山が「放浪記」を観劇すると、88年に東山が単独初座長を務めた大阪・新歌舞伎座での舞台「沖田総司」を、森さんは一人で見に来た。「新幹線が止まるかもしれない嵐の中、大阪まで来てくれた。ああ、僕はこの人に対してきちっとしなければいけない、と思いました」。そう語ると、東山は思わず目頭を押さえた。

 結婚と長女の誕生を母親のように喜んだ森さんに、妻の木村佳乃(36)が第2子を妊娠したことも報告できたという。「ニコニコして喜んでました。今となっては、森さんが笑っている姿しか思いつかない」。森さんは東山のことを「友達以上、恋人未満」とかわいがり、世間は2人を「永遠の恋人」と呼んだ。東山は「森さんの美しさには、みんなにそう言わせるパワーがあった。やっぱり森さんはすごい」と力説し、「森さんがやってきた仕事を、ちゃんと継承していかなきゃいけない」と、思いを新たにしていた。

Nikkansports 2012/11/16

東山「アイドル出身の僕が…」/一問一答

 女優森光子さん(享年92)の死去公表から一夜明けた15日、親交が深かった東山紀之(46)が日刊スポーツなどの取材に応じた。東山はこの日早朝、仕事で滞在していたタイ・バンコクからの航空機で成田空港に到着。「師匠で、母親のような存在だった」という森さんへの感謝の言葉を並べ、涙をぬぐった。

<東山一問一答>

-印象に残っている森さんは

 東山 今となっては笑っている姿しか思いつかないです。謙虚で、会うたびにニコニコしていました。

-印象に残る言葉は

 東山 芸事のアドバイスもありましたが、会うたびに「ごめんなさいね、ごめんなさいね」と言っていたのをよく覚えています。いつも真摯(しんし)な態度を取ってくれるので。

-森さんの存在とは

 東山 師匠でもあり、母親でもありました。アイドル出身の僕がいろんな方たちに認められるきっかけになったのは、森さんが認めてくれたことがすごく大きかったと思っています。

-亡くなった今、あらためて思うことは

 東山 本当に頑張ってきた方なので、ひとまずゆっくり休んでほしい。森さんは人前で寝ない方だったので、今はゆっくりお休みになっていただければ。

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