2013.03.24掲載

1000回目の「SHOCK」2013.03.21 帝国劇場

今まで、帝国劇場で多くの節目の舞台を観て来た。森光子の「放浪記」2000回、松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」1200回…。いずれも、功成り名を遂げた名優の円熟の舞台だ。堂本光一は2000年の初演以来、12年と5ヶ月で1000回の単独座長公演の記録を打ち立てた。もちろん、最も若い記録である。どの芝居もそうだが、回数を重ねることは、回数が多くなるほどに難しさを増す。山が高くなればなるほどに登るのが難しくなるのと同じで、観客の眼も肥えて来るから求められるもののクオリティも上がる。その要求を満たしてなお、観客に求められる芝居だけが、回数を重ねることができるのだ。誰しも、記録のために芝居をしているわけではない。とは言え、21歳で帝国劇場の最年少座長を勤め、それ以降ただ一度の休演もなく走り続けていることは、評価に値する。まさに、この作品のテーマである「Show must go on」の精神を、自らが体現していることになる。よほど厳しく自分を律することができなければ、出来る技ではない。

ブロードウエイの若きエンターテイナー・コウイチ(堂本光一)を主人公とした根幹となるストーリーは変わらないが、毎年そこに様々な試みが加えられ、「進化」していることが、観客を飽きさせない理由だろう。推測ではあるが、この舞台にはリピーターもかなり多くいるはずで、同じ俳優が演じる作品を何回も、何年も観たいと思わせる点では、良い意味での古典芸能の歌舞伎と同じ側面をも持ち出した、ということになる。核になるものが決まっており、それに新しい要素が加えられて進化する過程も、歌舞伎に酷似していると言えよう。

堂本光一は、相変わらず軽やかに舞台を駆け回り、フライングを見せ、階段落ちをみせる。しなやかでありながらキチンと鍛えられた体躯は見事で、約3時間の舞台を息も付かずに全力疾走している。このスピード感も、「SHOCK」の人気の理由の一つなのだろう。今回の舞台から感じたのは、堂本光一には力強さと儚さが同居している、ということだ。両極とも言えるこの魅力を併せ持つ役者は、あまり他に例がない。30代半ばに差し掛かろうという油の乗り切った青年でありながら、初演の頃から変わらぬ危うい儚さを持ち続けている。力強さは日々の鍛錬である程度のことはできるが、儚さは努力や訓練で身に付けるものではなく、純然たる彼の個性だ。だからこそ、満開の桜の下に横たわる姿が似合うのだろう。その一方で、一幕の幕切れ近く、「今、立ち止まったら、そこで終わりが来るんだ!」と叫ぶ場面がある。この科白は、舞台に立つ者すべてが抱く感覚、あるいは宿命と言っても間違いではない。階段落ちの場面もさることながら、私はこの科白に彼のひときわ強い悲壮感を感じた。

彼を支えるメンバーは前田美波里が劇場のオーナーとして昨年まで出演していた植草克秀に代わり、ライバルも内博貴から屋良朝幸に代わった。こうした助演を得ながら、カンパニー全体が成長しているのが観て取れる。こうした進歩がなければ、1000回という数字を重ねることはできないだろう。彼が走り続けた12年5ヶ月は、恐らく彼の中では通過点の一つにしか過ぎないのだろうし、また、そうでなくてはなるまい。先に引用した科白のように、彼が満足してしまった瞬間に、進歩は止まる。それを続けることがどれほどに大変な事であるかは、他の舞台の例で何度も目にしている。それだけに、最年少で1000回も演じることのできる作品を持てた彼の俳優としての幸福を感じると同時に、更なるステップアップを続けようとしているストイックさに拍手を贈りたい。

終演後、1000回の上演を記念した特別カーテンコールが、約30分にわたって行われた。その中で、彼は「1000回という実感がない。毎日、その日が勝負だ」という旨の言葉を述べた。「SHOCK」に今まで出演して来た人々のビデオ・メッセージや、堂本剛、東山紀之らのサプライズ・ゲストに励まされながら、彼は1001回目への道を踏み出した。彼がたどる道はより遥かに険しいものになるだろう。しかし、「孤高」とも言える姿勢で、更なる高みを極めることを多くのファンが望んでいるのだろう。何回目の舞台までを見届けることができるのかは、私の彼への挑戦でもある。

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