欠了meishan半年以上,大家(誰啊?)期待已久的某光失戀記,
終於隆重登場~!

在看MYOJO 1999年1月號這篇之前,建議先複習一下愛情講座8-
DUET 1998年10月號,採訪時間在三個月前,可以當對照組做比較。

 http://www.wretch.cc/blog/trackback.php?blog_id=mitsuo&article_id=2263027

MYOJO 1999年1月號☆19歲

我覺得,跟我這個人交往應該很無聊吧!從事這樣的工作,就算有了喜歡的人,也很難替對方付出什麼,甚至連碰個面都很難。我也有過因為這種原因而分手的經驗。

工作很忙的時候,完全沒有時間可以跟對方見面。以對方的立場來說,即使對我的工作能夠諒解,但總會產生「為什麼?」「難道就不能想想辦法嗎?」這樣的情緒。再怎麼堅強的人也不可能一直沒辦法見面,卻完全不會寂寞。雖然每天都會打電話給對方,但彼此之間的空氣只會越來越沉悶,到最後兩人都無話可說,「……說點什麼吧……」「…你自己還不是什麼都不說……」「……」「明天要早起,我該去睡了。」變成像這樣的感覺。這樣的狀況持續一陣子,某一天,我終於決定結束這段感情。因為真的很痛苦,很難受,再繼續下去對方太可憐了。如果能談場普通的戀愛,對方會很輕鬆也很幸福。對我自己而言,比起背負著辜負對方的心情,還不如無事一身輕吧!我除了跟對方提出分手,沒有其他選擇了。

好,這的故事到此結束。雖說故事到此結束,我的心還是搖擺了一段時間。我並不後悔,但畢竟人心本來就不是可以馬上切換的啊~

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最近在看觀月亞里沙主演的日劇「鬼嫁日記」,
得知這部戲是由日本部落格連載的真人真事改編,
就好奇地跑去「真正的一馬」的部落格看,結果差點沒被笑死!
沒想到真人真事比連續劇的劇情還要更爆笑呢!

看連續劇時以為是編劇為了增加戲劇效果而做的小設定,
例如:一馬「命運交響曲」的手機鈴聲,
早苗每次的「XX決定」宣言,居然通通都是真的!
「真正的一馬」還真不是普通的可憐啊~~
雖然很可憐,但一邊看還是忍不住大爆笑,
強烈推薦看得懂日文的網友過去看,保證開懷大笑!


目前「真正的一馬」的部落格只剩下今年九月以後的文章,
之前的好像都已經收錄到書中,因為實在難得有這麼好笑的文章,
本人便鍥而不捨地弄到了這本「實錄鬼嫁日記」的日文版來看。
(這本書有中文版嗎?不太清楚……)
厚達325頁,本來以為得分幾天才看得完,
沒想到一打開看就停不下來,當天一個晚上就看完了(笑)
裡面內容真的很有趣,忍不住手癢翻譯了三篇,
有興趣的網友歡迎到「光生爸爸生活隨筆別館(請看連結區)」看,
覺得好笑就請用力回應留言吧~
如果很多人都覺得好看的話,以後會再抽空翻幾篇跟大家分享(^^)

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どんなもんや2005/11/1

聽眾來信:「10/2參加了翼的SOLO CON,翼說前陣子接到了來自光一超HIGH TENSION的電話。光一很少主動打電話來,看著來電顯示『光一さん』接起電話,光一劈頭就是超HIGH TENSION的一句『Hello!』,雖然只是些有的沒的內容,但聊得非常愉快。最後在不知道光一打電話來到底是要對我說什麼狀況下,光一就說BYEBYE掛電話了。光一還記得這件事嗎?」

光:「我記得喔~是在拍攝H ALBUM初回盤限定DVD的PV時打電話給翼的。就有點事嘛~(是什麼事)就不能說了啦~至於聊了些什麼…,就是告訴他關於某件事,可能會這樣這樣這樣,要他做點心理準備,難道我講得不夠清楚(所以翼搞不懂我打電話到底是要說什麼)嗎?哈哈哈~不過對翼來說,這件事也是還不能說,所以才會這樣繞圈子說吧?我想應該是這樣啦~嗯,大家總有一天會知道我們在說什麼吧?唔~或許不會知道也不一定,隨便啦~不知道也無所謂!反正沒什麼大不了的事。」

────
感想一
原來翼的手機是用來「光一さん」登錄光一啊~
當面叫光一くん,私下稱呼光一さん,翼果然很尊敬前輩呢!
不像寵物白馬都稱呼主人「家で裸族」(爆)

感想二
那件『沒什麼大不了的事』應該跟那個在「皇…」附近的有關吧?(笑)

感想三
身為大王子放,嚴重懷疑光一HIGH TESION的『Hello!』是在模仿東山(笑)

P.S.東山打電話給人開頭第一句都是『Hello!』

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未完のラブソング

(紅字:光一  藍字:剛)

そして淡き日々は過ぎ
次の階段の前で
僕らは少し無口になる 
曇った午後

けして変わったのじゃなく
時間(とき)と言葉足りなくて
愛はいつも身勝手な顔をみせ 困らせる
Oh 傷つけたり 抱き寄せてみたり

僕らのラブソングは未完成な
彷徨いの響き
ふたりが探し求めているメロディー
重なり溶け合うその調べは
いつ聞こえるの


いつもそばにいてほしい
今は一人にしてほしい
矛盾の壁に翻弄され 募る痛み

絶えず流れてる川
足を取られそうになる
愛はとてもいたずらな
~~~~してる

Oh 見つめあったり 話題逸らしてたり

僕らのラブソングはまだ続くよ
約束の響き
ふたりが奏でる真実のメロディー
静かに耳をかたむけるなら

聞こえてくるよ
明日にかける橋 必ず渡ってる
不安な風にも負けることなく

未完のラブソング

僕らのラブソングに終わりはない
永遠の響き

二人の愛をずっと信じているよ
確かに言える言葉は一つ 今も愛してる
Carry on  そうCarry on  Carry on

 

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透過CIA少年隊版版主nishikiori的情報,
得知了專業劇評家-中村義裕桑的網站【演劇批評】。
往前挖了這四篇舊評論來看,發覺中村桑出身高等學府(早稻田大學演劇專科畢業),
卻不只是個純理論派的學者,而是從少年時代起就熱愛欣賞舞台,
至今看了超過2500部舞台作品,實戰(?)經驗豐富的評論家。

既然是評論,當然是有褒有貶,但中村桑的評論理論與實際並重,
不論是傳統還是創新,他都以相當中立客觀的角度去切入,
並非那種只會一眛毒舌批評,自以為權威的劇評。

這幾篇少年隊,東山,光一的舞台劇評,個人覺得相當值得一讀,
但實在沒時間翻譯這麼多字數,用詞又有點艱難的戲劇評論,
只好先當作資料庫存在這裡,並且推薦給懂日文的網友閱讀。

強力建議沒時間全看的小王子放網友看一看PLAYZONE 2005那篇,
固然光一和少年隊的狀況不太相同,可是在偶像出身的這個同質點上,
那也許會是『SHOCK』未來模式的一種可能性吧?


P.S.PZ 2005 DVD初回盤日本發售了,真不是普通大的圓柱狀....(汗) 照片更新在PZ相簿中。

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森光子と東山紀之の人気者の顔合わせで、帝国劇場はいっぱいだ。今までに何度もこのコンビでいくつかの作品を上演してきたが、その都度新鮮な感覚があったり、二人の愛情が感じられたりして、単なる話題提供だけではない作品もあった。だからこそ、今回までいろいろなテーマで続いてきたのだろう。今回の舞台は大正中期から昭和十六年までの間、森と東山が姉弟という設定である。アルゼンチンから流れてきた二人が神戸へ落ち着き、二人の人生が「タンゴ」をキーワードに交錯しながら進む…伊集院静の原作で、描こうとしている時代や発想の着眼点は面白い。しかし、芝居の内容については山のような疑問と不審な点がある。もしかすると、観客の大部分は気付かずにいることかも知れないが、実は今回の芝居には大きな問題が隠されている。

プログラムを見て驚いた。原作は伊集院静、となっており、栗山民也が演出に当たっている。ここまでは問題ない。しかし、脚本家の名前がどこを探しても見当たらないのである。伊集院静は小説家ではあっても劇作家ではない。となると、誰かがその原作を芝居に「脚色」するという作業がなければ芝居にはならない。当然、しかるべき劇作家が脚色しているわけだが、なぜそこに誰の名前もないのだろうか。誰も何もしないのに、自然に芝居の台本が出来上がるわけなどあるまい。

さらには、プログラムに書かれている「物語」と称する粗筋(観劇の手引きのようなもので、あらかじめストーリーを頭の中に叩き込んでおくには観客には重要なものである)と、実際の芝居の内容が大幅にずれている。推測で物を言うことはしたくないが、そう無謀な推測とも思えないから書く。恐らく、プログラムを印刷する時点までに出来上がっていた脚本の内容が大幅に修正されたために、こういう事態が起きたのだとしか考えられない。だから、責任の所在を明らかにすることができず、脚本家の名前が出なかったのだろう。いや、出せなかったのだ。こんな荒技を平気で使う感覚に驚いた。まるで詐欺に等しい。

長い歴史を持ち、幾多の名作を送り出して来た大興行会社の東宝ともあろうものが、こんないい加減な仕事をするとは、演劇人の端っこにいるものとして恥ずかしいを通り越して情けない。高いチケットを買って、お芝居を楽しみにわざわざ時間をかけて劇場へ足を運んでくださるお客様をどう思っているのだろうか。同時に、出演する役者に対してもこんな失礼な話はない。数々の名舞台で東宝の財産とも言える森光子、タイトなスケジュールの超売れっ子の東山紀之を組み合わせ、その脇には雛形あきこ、石田純一、野村昭子、山本學、中田喜子など、多彩なメンバーを並べている。しかし、こういう無責任な方法で芝居を創ったのでは、いかな名優であろうとも腕の奮いようがない。看板に名を並べている人々には当然それなりの責任も伴うが、そうではないすべての役者やスタッフが気の毒だし、彼らに失礼である。こんなみっともない真似をするのであれば、既存の作品の再演の方が遥かにましというものだ。

まるっきり土台のないようなところで芝居をしている上に、責任の所在が明確ではないから、誰に文句を言っていいやらわからない。この芝居のプロデューサーの人を馬鹿にした行為はまさに切腹物である。日本の観客がいくら大人しいとは言え、ここまで馬鹿にされたのであれば、「金を返せ」という権利はあるだろう。

二幕で二十場を超える場割りの多さ。あれもこれもというエピソードを無理矢理に押し込んだために、何だかテレビのようなカット割りの舞台になってしまった。せっかく面白い着眼点があるのだから、森と東山の姉弟の交錯する人生にどっかりとしたテーマを据えて、二人にがっぷり四つの芝居をさせればもっと面白いものができたであろうことは、素人でもわかる。そこにいろいろな人が絡めばよいのだ。ところが、主な役どころがみんな尻切れとんぼの上に、何だか手持ち無沙汰のような格好になってしまって、これではどうにもならない。最後まで観ていくと、しまいには何がテーマなのかも薄ぼんやりとしてしまう上に、いきなり時代や場面がポンと何の説明もなく飛んでしまうために、観客はその空白の期間に何があったのか、理解に苦しむ。こんな不親切な芝居もあるまい。

これではせっかくのビッグな顔合わせも、役者の生きようがないのが気の毒だ。森光子は相変わらずの若々しい魅力で見せるし、東山の爽やかさも変わらない。野村昭子はまさに手練れ、とも言うべき存在感を持っている。石田純一は良くも悪くも役の軽さが本人のイメージとダブるところはあるものの、さしてどうこうというわけではない。山本學も、役の設定は面白いのに芝居のしどころはない。中田喜子、雛形あきこも同様である。これでは、役者の演技云々を批評する以前の問題である。むしろ、こういう驚天動地のような状態の中で芝居をせざるを得ない、そしてその評価を受けなくてはならない役者に同情さえ覚える。

商業演劇の汚点が、もろに露呈した芝居である。興行会社の思惑に振り回された役者と観客が気の毒だ。帝国劇場という冠たる劇場が、外国から買って来たミュージカルしかできない劇場になってしまったことにただただ失望、の一言である。


http://www.yumekoubou.co.jp/Enpaku/review/review110.htm

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ショービジネスに携わるものであれば絶対に忘れてはならない言葉、「ショー・マスト・ゴー・オン」。このニュアンスと精神は日本人とアメリカ人では微妙なずれがあるのかも知れないが、「SHOCK」の作・構成・演出を手がけている日系二世であるジャニー喜多川は、そこをうまく捉え、伝えようとして「ショー」としても「ドラマ」としても、観られる作品を作っている。毎回チケットの争奪戦が話題になり、帝劇始まって以来の騒ぎになっているが、それはむしろ表層的な部分であって、この作品の根底に流れている精神を見損なってはいけないだろう。人気アイドル・堂本光一の主演(初演は東山紀之も参加)で形を変えながら今回で3演目を迎えるこの作品だが、これは、人気アイドルがただ舞台に立つ、ということだけのことではなく、ジャニーズ事務所という日本で最大のプロダクションを擁するジャニー喜多川のショーマン・シップの現われた作品なのである。もちろん、売れっ子アイドルを一ヶ月舞台に拘束しておくことはさまざまな意味において大変なことではあるが、それこまでのことをしてジャニー喜多川が表現したかったのは、まさに「ショー・マスト・ゴー・オン」の精神なのである。

もちろん、そこには観客を楽しませるための多くの仕掛けが施されている。第一幕ではショーの部分を中心に上演される。さまざまなイリュージョンやアクション、マジックを中心とした見せ場が次から次へと続き、観客を充分に楽しませる要素を持っている。ショーとして充分に成立するだけの面白みを持っているのは、まさにジャニー喜多川のショーマン・シップなのである。二幕ではドラマ性が中心になって来るが、その中でも随所に見せ場を作り、観客を飽きさせない。今までの大劇場演劇になかった新しいスタイルの、ショーと演劇が合体した姿がある。

主演の堂本光一は、今回が三回目ということもあって、だいぶ手馴れて来た感じが見て取れる。小柄ながら舞台での存在感は大きく、何よりも観客を引き付ける魅力を持った素材である。彼の人気についてはいまさらここで改めて述べるまでもないが、テレビではうかがい知れない実力を、この舞台で着実に身に付けて来ていることがわかる。単なるハンサム・ボーイのアイドルではなく、身近な感じのする愛嬌が舞台を楽しくしている。アドリブで観客を笑わせる余裕も出て来たようだ。しかし、ここで変に「慣れる」ことなく、もっと大きくなってほしい。それだけの魅力を持っているのだから。共演の今井翼、秋山純も好演で脇を支えている。今拓哉がもう少し存在感を示して欲しかったのと、宝塚出身の樹里咲穂のパターン化した演技が惜しい。バックダンサーたちのアンサンブルも良くまとまっており、楽しい舞台になった。最後に、ファンサービスとして堂本のミニ・コンサートがあるが、これはなくもがな、という気もする。

「ショー・マスト・ゴー・オン」。ジャニー喜多川がこの「ショー・劇」に託した想いが、観客の胸に伝わってくれることを望むと同時に、そういう精神を持ったプロデューサーが日本のショービジネス界にいてくれることを心強く思う。


http://www.yumekoubou.co.jp/Enpaku/review47.htm

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シャンソンに「幸福を売る男」という曲があった。「少年隊」というグループは、そうなのかも知れない。毎年続けて来た公演「PLAYZONE」が今年で20周年を迎えるという。アイドルグループが20年第一線で活躍を続けていることは見事なことであり、それを支えているファンもたいしたものだ。もっとも、彼らにそれだけの魅力があるからこそ、ファンも時間を共にして来たのだろう。今回は、20周年の記念公演と言うこともあって、赤坂晃や佐藤アツヒロも花を添えている。

ストーリーは過去と未来を交錯させながら、「少年隊」というグループを見つめるといったもので、特にどうということはない。ただ、青山劇場の舞台効果をフルに稼動させ、宙乗りなども活用して、ショーとしての演出効果は華々しいものがある。芝居の後に30分程度のショータイムがつき、これはファンサービスだろう。

感心したのは、錦織一清、東山紀之、植草克秀という三人が、もう40前後でありながら、懸命に頑張っていることである。もちろん、プロなのだから頑張って当たり前だが、良く動き、踊り、しゃべり、唄う。これは、ファンにとってはたまらないだろう。客席も、恐らく98%以上が女性で、しかもその年齢層が幅広い。この公演の当初からのファンももちろん多いだろうが、その後にファンになった人々、少年隊よりも遥かに年上の女性たちまで、みんなが楽しんでいる。言ってみれば、少年隊とファンとの年に一度の「同窓会」のようなものだろう。終演後家路に着く観客の紅潮した満足そうな笑顔、これはエンタテインメントとしてのあり方の一つだ。青山劇場という大きな小屋を一ヶ月満員にしてもなお飽き足らないほどのファンを持っているこのグループの力を強烈に感じた。しかしながら、ここに「演劇的充足感」はないし、それを求めるのは間違っている。彼らに演技の能力がない、ということではない。現在は、こうしたエンタテインメント性を前面に押し出した舞台と、普通の芝居とがボーダーレス化し、その切り分けがなかなか難しい状況になっている。この舞台を、演劇的に批評しようとすると齟齬が起きるだろう。ここは、勘違いをしてはいけない部分だ。この問題については、発表の日時と媒体はまだお約束できないが、「少年隊という存在」(仮題)で改めてご説明することにする。

いつの世にも「スター」は欠かせない。それは、芸能の世界だけではなく、スポーツでも、政治でも同様である。今もスターと呼ばれる人は多い。しかし、その「意識」が変わっているのも事実だ。それは時代と共に変容するものであり、それでよい。一つだけ条件をつけるとすれば、それは「いつまでも忘れられないこと」だろうか。そういう意味では、東山紀之という人が持っているスターの「美学」というものに、かつての長谷川一夫に通じるものを感じた。そして、「中年男性の星」(と言ったら女性ファンには怒られるだろうか)とも言ってもよいこの愉快な三人組の舞台を、男性諸氏に観ていただきたい気がした。


http://www.yumekoubou.co.jp/Enpaku/review/review105.htm

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新大久保にある東京グローブ座が改装記念の作品に「ロミオとジュリエット」を取り上げた。東山紀之のロミオに瀬戸朝香のジュリエット、鴻上尚史の演出という、斬新な企画ではある。幕開きの演出に一瞬びっくりしたが、テンポのある、いい演出だ。何よりも感心するのは、シェイクスピアの本領である駄洒落や韻が科白に活きていることで、そこに作品の妙味が出た。ただ一点、今の時代の「ロミオとジュリエット」という点では、大詰め近くに戦争のフィルムを流す辺りにそれを感じるが、それがこの作品にふさわしいかどうかは疑問を感じるところだ。

恋する男女のすれ違いの青春悲劇としてあまりにも有名な作品だが、不変のテーマである「愛情」が爽やかに演じられていたのが嬉しい。舞台に嫌らしさがない。東山紀之のロミオが出色で、何よりも爽やかで涼やかである。20年以上のキャリアを持つが、意外なことにシェイクスピア作品は初挑戦だそうだ。しかし、その貴公子ぶりは変わらず、多くのファンが熱い眼差しを向けるのがわかる。清廉でひたむきな愛情と、エネルギッシュな演技が気持ち良い。演技にメリハリがあり、ロミオという男の感情の襞がうまく表現できている。アイドルではあるが、大人の役者になった、と言えるだろう。舞台を爽やかな一陣の風が吹き抜けるような印象である。この人の端正な面差しを観ていて、「ハムレット」や「天守物語」の図書之助を観たくなった。それは取りも直さず、彼に「舞台人」としての素質を感じたからである。

ジュリエットの瀬戸朝香は今回が初舞台。膨大なシェイクスピアの科白を覚えるのに精一杯で、一生懸命さは認めるが、まだ演技や表現というところまで達していない。科白の合間の呼吸法と、手を扱いかねているところに問題があり、これからの勉強が山積みだろう。清純さは買える。

二人を囲む役で目についたのがマキューシオの河原雅彦で、躍動感があり、科白がノッている。こういう若い才能の芽吹きは嬉しい。キュビレット夫人の宇都宮雅代とエスカラス大公の金田龍之介は貫禄の芝居。こういう人が加わると、舞台の厚みと緊張感がグンと増す。そういう意味では、ロレンス神父の渡辺哲も劣らぬ好演である。

400年経ってもなお衰えを知らず、いろいろな演出や配役で上演が繰り返されるシェイクスピア劇の人気の理由はいろいろあるだろう。全作品を上演しようと挑戦している人々もいるほど、役者にとっても観客にとっても魅力の多い作品である。その一つが、こうして新たな現代の息吹を吹き込まれたことには意味がある。多くの試みの中で、この舞台が示した「愛情」の表現は、殺伐とした現代を生きる我々に、忘れていた「何か」を想い出させるのかも知れない。

http://www.yumekoubou.co.jp/Enpaku/review/review79.htm

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昨晚日本文化放送今井翼的廣播中,提到翼生日(10/17)的話題。

翼:「17日晚上我接到光一君的電話,祝我『誕生日おめでとう』。
   光一君是唯一有祝我生日快樂的前輩喔~」


呵呵~光一總是說自己不記得別人的生日,其實都記得很清楚嘛~
不只是相方的剛,親友的長瀨,晚輩的翼,秋山,屋良的生日他都記得,
光一就是這麼一個溫柔體貼不露痕跡,窩心只讓對方知道的人。
每次這種事都要靠別人爆料給我們知道,
真是的,又不是做壞事,幹嘛害羞假裝不記得啦~(笑)

P.S.這次謝謝翼君的爆料囉~(^^)

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